仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

最近、ツイッターっていいなと思った件

 私もツイッターをずっとやっているのだが、未だ独特のノリについて行けずに、気になったツイートに対するリツイートばかりにするようになっている。

 何だか面白いことを呟こうと思えば思うほど、言葉が出てこない。これが誰かが同じことを呟いたらつまんないと思うだろうなと思ってしまう。

 それでも、突然魔が差したようにツイートを連続して行う日があったりもする。何だか一人興奮して、1時間に10個も20個もツイートをし続けるのだ。だいたい、その翌日に見返してみて、ほとほと自己嫌悪になってそのほとんどは削除してしまうのだが、それがツイッターの不思議なところでもある。

 そういったわけで、普段は有名なインフルエンサーのツイートを参照するのがメインだが、先日たまたま魔が差した時に遭遇した出来事について思ったことを書こうと思う。

 それは好きでずっとフォローしていた人が、突然自殺予告のツイートをして、実際に自殺未遂をしてしまったという出来事である。

 私は、その予告のツイートを読んでも、ただの冗談だと思って読み流していたのだが、翌日本当に自殺を試みて、病室からツイートをしているの読んで、心から衝撃を受けた。本当に死ぬ気だったんだと。

 その当人は、元彼がそのツイートを読んですぐに警察?に連絡したから助かったという。

 私が衝撃を受けたのは、その自殺予告の記事をただの冗談と思って読み流していた自身に対してである。

 ツイッターは、やっている人はご存じだと思うが、公共の場であると同時に、個人の場でもある。高尚なツイートもあれば、下品なツイートもある。ただの悪口や、感想もある。パブリックフォーラム論ではないが、この雑多な意見の表明できる場だからこそ価値があって、面白いのだが、SNSだけあってやはりどこかで信用しきれないところがある。

 どうしても話半分に読んでしまうのは否めない。ただ、感覚で「いいね」ボタンを押してしまう。

 しかし、ずっとフォローしてその自殺予告をした当事者の記事をずっと読んできて、それが本当なのか、冗談なのか判別できなかった自分にちょっと驚いてしまったのだ。

 それはしょうがないことなのか、SNSに浸りすぎて感覚が麻痺しているのか、ちょっとわからなくなってしまった。

 ひょっとして、SNSでの言葉だけでもなく、大げさかもしれないが、国会や家庭の中の言葉に対してもいつのまにか、ただ聞き流すようになってしまっているような気がしたのだ。

 そうだとすると、恐ろしい。身の回りの大切にしたい誰かが、本当の言葉を発したときちゃんと受けて取れるかどうか心配になったのだ。

 もちろん、SNSとは違う。けれど、SNSの誹謗中傷に耐えられなくなって亡くなる人もいるように、冗談のつもりの軽い言葉が逆に人の命を奪うこともある。

 本音の言葉と、軽い気持ちで言った言葉。この分別を上手くできないということは、とても危険なことではないかと改めて思い出したのだ。

 人は本音の言葉にしか、本音のことは言わない。それは揺るがない事実だろう。その感覚を忘れないようにするしかないが、それをSNS上でどう身につけていくか。それがこれから大切になっていくのだろうと思う。

 そして、今回ツイッターがいいなと思ったのは、その自殺未遂した当人に対して、有名な識者を含めて、色々な人が優しくて、秀逸なリツイートをしていることだった。中には当人でもないのに、読んでいて涙が出るような優しい言葉もあった。それだけでもツイッターをやっていてよかったと正直思った。

 そう、やはりSNSでも、本当の言葉は感情を震わせられるかにかかっているのだ。つまり、この本音と、軽い気持ちからの言葉を、見極める方法は、「感情」が動かされるかどうかだと思う。一見本当らしき言葉だと思っても、感情が動かないものはやはり信じてはいけない。それは、たとえ華麗なる嘘であっても同じだ。

 文学作品でも言ってみれば、壮大な嘘の山なのだから。感情が動くと言うことは、きっとその人にとって本音の言葉だからである。

 そして、もう少しツイッターのノリに慣れたら、この感情を鍛えるためにももっと積極的にツイートして行こうと思う仲村でした。

 ではまた