仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

トリエンナーレって面白くないですか?

 

  「トリエンナーレ」とは、国際美術展覧会という意味らしいです。原意はイタリア語で「3年に一度」ということですから、単純に言って数年に一度行う展覧会ということでしょう。自分としては展覧会と聞くとつい、有名なムソルグスキーの組曲のメロディを思い出してしまいます。

 些細なことなのかもしれませんが、ほんの昔まで、絵画とか美術品を見に行く時、「展覧会に行く」と言っていたような気がします。今でも、「ゴッホ展」、「ピカソ展」とか言いますが、それはつまり、ゴッホ展覧会、ピカソ展覧会の略称ということです。

 そして展覧会というのは、大辞林によると、「芸術品・制作物を並べて多くの人に見せる会」とあります。

 それで、今回のあいちトリエンナーレの騒動ですが、あまり時事問題は触れないつもりでいましたが、芸術と表現に関することですので、敢えて書きたいと思います。

 あいちトリエンナーレでの問題とは、字面を追うとつまりは「愛知で行われる、国際的に通用する芸術品・製作物を多くの人に見せる会」での騒動ということになります。 

 では、騒動となった元の展示品は果たして、芸術品なのか、そうでないのか、それが争点の一つとしてあります。この際、「表現の自由」や「検閲」という法的な論点はあえて外させてもらいますと、もし今回の展示物が芸術品ではないとしますと、大辞林というとそれはただの「制作物」となります。つまり「拵え物」ということです。そして、今回の騒動そのものについて、少し違う観点から述べさせてもらいますと、芸術品であっても拵え物であっても、多くの人に見せるということでは同じです。

 つまりこの「見せる」というのがキーワードなのです。

 今回のトリエンナーレは有料です。見たい人はお金を払って見に行きます。実はこの騒動は無料と有料では話が天と地ほど変わってくるでしょう。お金を払って見ることと、無料で見ることは同じくくりにしてはいけない問題だと思います。

 もしあの問題となった作品が、路上でそれも無料で展示されていれば、人は見たくなくても見てしまう可能性があります。それは、聞きたくもないのに入ってくるヘイトスピーチと同じです。

 当然、表現の自由といえども公共の場という制限が入ります。表現といえども無制約、無制限ではありません。美術館でOKだった男性の全裸写真でも、屋上広告として展示してはダメでしょう。テレビでも無料で視聴できるからこそ、番組内容に倫理やコンプライアンスの問題が求められます。それは、自然と目に入ってしまう可能性があるからです。

 しかし、今回のトリエンナーレもそうですが、少なくとも金を払って入場するということは、どんな展示物であっても直に見たい、感じたいという主観的な意思が存在しているはずです。それは映画館でお金を払って映画を見るのと同じ心構えです。

 その展覧会では、いったい何が展示されているのか、あらかじめネットで調べれば出てくるのでしょうが、それで感じる思いまではわかるはずがありません。ただそこには見る価値があると思う、美術(製作物)が展示されているだろうという漠然とした思いしかありません。気持ちとしては実際に見なければわかりません。わからないからこそ見たいと思うから行くのでしょう。

 映画を見に行っても、誰もが自分が思っていた以上に過激なSEXシーンや、暴力シーンや、残酷な描写に溢れていて辟易したことがあると思います。しかし、それはあくまでお金を払って作品を見たいという意志を持って座席に座った結果です。嫌なら席を立って出て行けばいいだけの話です。本当は見たくなかった。思い出しただけでも寒気がした。それは見ることを受け入れてしまった一感想でしかありません。

 ほとんどの人は、展覧会に行く。そこには知的好奇心を満たしたい、教養を深めたいといった目的があるでしょう。しかし、本当の理由はそれぞれです。だから当然それぞれの感想があります。作品が不快だ。見るに堪えない。侮辱だ。芸術作品じゃない。そういったものも後からの感想でしかありません。

 それが、その展覧会を公共機関がやろうと、思想が偏った民間の団体がやろうと変わらないと思います(程度の差だと思います)。
 そこでは、憲法も差別問題も国際問題もないです。ただの展示物を見た感想でしかありません。それは、ヤフーニュースのコメントと変わらないレベルだと思います。

 トリエンナーレだからといって、展示物の作品はすべからく芸術的で高尚ではなくてならないなんていう必然性もありません。ただの表現者の拵え物(小説も当然同じ)なのですから。

 たとえば、道路の看板のように、公共の制限のもと、なんの思想性も芸術性をないものにお金を払って見に行きたいと誰も思わないでしょう。

 これも映画にたとえますと、ある映画を見て、その思想性にどうにも納得がいかないからと言って、上映する映画館に文句を言うようなものです。映画館は人が来るから、お金を払って見るから上映しているからに過ぎません。そこでは税金を使って開催しているから、地方公共団体がやっているからなんてことは問題ではないでしょう。

 その昔、中学生の頃ホラー好きの先生から、美術の時間に「エルム街の悪夢」を見せられたことがあります。

 生徒たちは悲鳴をあげながら見ていました。途中気分が悪くなって退席した生徒もいました。しかし、先生は上映を最後まで止めなかった(今では考えられないですが)。そして全て終わったあとこう言いました。

 「ここにいるほとんどの生徒は、もう二度と見たくないと思っただろう。しかし、考えて欲しい。なぜ自分はそう思ったか。そして逆にもっと見たいと思った生徒はどうしてそう思ったのか、それを考えさせる力を持っているが芸術だ。だからこそ生きる上で必要なのだ。そのことをずっと覚えておいて欲しい」と。

 自分は、今でもこの先生の言っていたことは正しいと思っています。そして今回の騒動についても同じように考えます。
 しかし、おかげでホラー映画が大嫌いになった仲村でした。
 ではまた