仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

努力はしたくない?

 昔から努力という言葉が嫌いです。ただし、嫌いだからといってまったくしないというわけでもありません。好きなことについては、目標を定めて計画を立て、その遂行のために毎日の生活習慣すら変更し、わりにねちねちと頑張るタイプです。

 もちろん、それはあくまで好きなことに限られます。学校の勉強や、部活動、ダイエットなどについて、努力したことはほとんどありません。もっと正確に言えば、ルーチンの生活習慣以上に努力しようとすると、たちまち心がぽきっと折れてしまうのです。できないと言った方がいいでしょう。

 特に受験において、うぬぼれなのかコンプレックスが強いのか、大は小を兼ねると言って、自分のキャパ以上の目標を設定しては、達成できなくて自己嫌悪に陥って辞めてしまうことを何度も繰り返してきました。

 ただし、計画を立てるのは好きなので、しょっちゅう計画を見直して改良しては、完璧な計画ができた。明日から頑張ろうということで満足していました。

 しかし翌日を迎え、いざ実行するとやっぱりできない。再び計画変更。参考書を買い換え、勉強法みたいな本を買って、人のやり方を研究する。

 そして再び計画見直し。これで完全な計画ができあがったと思って実行するのですが、やっぱり早くて一日、もって一週間で挫折してしまいます。

 とにかく実行段階になって、いきなり嫌になってしまうのです。例えば数学だったらなぜ、この公式を覚えなくてはいけないのか、数学の意義とは、ついには数学という学問はなぜ誕生したのか、実生活との関係はなんてことを考え出しています。気がつけば数時間ぐらいたっています。

 そして、自分の人生には無意味だという結論を導いて、自分を納得させて参考書をぱったり閉めてしまいます。そしてさっさと好きな小説の世界に戻ります。結局は元の木阿弥です。 

 したがって、受験勉強が上手くいったためしがありません、計画だけしているのですから。ただし計画することだけはどんどん上手くなっていきます。

 結局何が言いたいかといいますと、学校の勉強において役に立った唯一のことと言うと、何事も計画する癖がついたことです。それは意外に小説を書くことに貢献しました。

 小説を書く。構想を練る。すなわちそれは受験勉強で繰り返してきた計画作成そのものです。執筆はつまり実行といえましょう。

 しかし、現在作家として中途半端なのは、この実行が相変わらず苦手だからです。厳密に言うと、書いた後の作業です。

 書くこと自体は楽しいです。好き放題書き散らかすことは、この世で一番楽しいことかもしれません。

 しかし、細部に気を配り、完全に仕上げることが無性に嫌になってくるのです。助詞や単語の意味に振り回されて、自分の文体を見失い。最後は統一感のない、隙だらけの作品ができあがるというわけです。

 つまり、結局一流との差は、それが理由だと思います。そしてその差は意外に大きくて決定的です。

 そして、努力という話に戻りますが、努力とは、自分にとって苦手な作業を、歯を食いしばって頑張るということなのだと思っています。

 これは意味がないと思いながら割り切って数学の公式を覚える。苦手な小説の推敲・校正をねっちりやる。つらいと思う作業をやり遂げることなのです。

 それができる人がつまり、その道の一流になれるのだと思います。 そしてそれが何の頑張りもなく、微笑みを浮かべながら全てをやり遂げられる人、それを「天才」と呼ぶのでしょう。

 この世には、「努力できる天才」という変な言い方がありますが、自分の中では、これは矛盾した言葉だと思っています。

 天才は決して努力などしません。そもそも苦手がないのですから。だからこそ天才なのです。歯を食いしばって、命を削って苦手なことを克服した人は、やはり天才ではないと思います。

 けれど、一番の問題は、自分は天才ではない。そしてとことん凡才でもない。好きなことは辞められない。何とかならないか。そうなったときどうすればいいのかだと思います。

 そして、それを考えるのが「いかに努力するのか」だとは思います。    

 一生に一度は何でもいいから、人から天才と呼ばれたいと思っていた仲村でした。
 ではまた

 

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