仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

神戸に遊んで、村上春樹を辿ってみませんか?

 神戸に行ってきました。少し生活に疲れたので有馬温泉で静養とはいきませんが、のんびりしようと思ったのです。もちろん厳密に言えば有馬と神戸は別の街かもしれませんが、私の頭の中ではすでにワンセットとなってしまっています。

 これまでの人生で、神戸は新幹線で通り過ぎたことはありましたが、がっつり遊びに行く機会がほとんどありませんでした。しかし結果的にこの1年の間に2回も行くことになりました。つまり神戸という街が気に入ったのでした。

 そして、いずれも有馬温泉で宿泊しました。今回はそれに六甲山も加わりました。実はそれが神戸観光の黄金パターンなのを今さら知ることとなったのです。

 別に、私は神戸市の観光親善大使でもありませんし、観光サポータ-でもないですが、何となく街全体の佇まいが何となく気に入りました。

 元々港町が好きなこともありますが、背後に六甲山という山があり、三宮という盛り場もあり、洋風な香りも残っています。おまけに沖合には人工的な島々があります。不思議な混ざり具合です。

 そして何よりも新幹線の駅と、三宮の駅を中心に一日で歩ける距離の範囲内にあるのが大きい。iPhoneに例えるのは恐縮ですが、小さくて高機能、おまけに全体のデザインもいいという、この街が持っている特徴がぎゅっと濃縮されている気がしたのです。

 だから、どこかの町にありがちな、閑散として変に間延びした感じがないのです。ですから私のように、事前にしっかり下調べしてから観光スポットを巡るのが面倒な性格にとって、何となく感覚で動ける街はぴったりでした。

 おまけに少し電車に乗れば、日本三大名湯の一つが待っています。いたせりつくせりです。あまり関係ありませんが、作詞家の松本隆氏が晩年になって、神戸に移住した理由が何となくわかった気がします。

 しかし、今回、神戸に遊ぶとありますが、メインの目的は敬愛する村上春樹氏の若き頃を辿る旅でした。言うまでもなく作家の村上春樹氏(以後、敬称略)です。

 私は、昔から作家の歴史を辿る旅をしてきました。夏目漱石、芥川龍之介に始まり、太宰治、若山牧水など、敬愛する作家が生まれ、育ち、執筆した場所を訪れ、そこを取り巻く空気や雰囲気を味わうのがとても好きだったのです。

 もちろん当時とは、景色を含めほとんど変わってしまっているのは覚悟の上です。逆に残っていた方がびっくりします。

 しかし、その変わってしまったことは織り込み済みとして、その残滓を感じるのが一興なのです。そうすることで、彼らの作品が産み出された背景がほんの少し垣間見えたりします。

 そして今回は、村上春樹です。

 彼の細かい経歴はウィキペディアに譲るとして、ご存じのとおり、大学に入学するまでは関西に住まわれていました。具体的に言えば芦屋市夙川です。

 そして、今回初めてちゃんと芦屋という場所に足を踏み入れました(実は幼い頃、花見に来たらしいのですがまったく覚えていない)。香櫨園という駅で降りて、登校する学生の波に紛れて夙川沿いを散策しました。

 さらに、不審者に思われない程度で、彼が卒業した香櫨園小学校、精道中学校の周囲を回ってみました。

 確かに村上春樹が言っていたように、芦屋と言いながら下町の雰囲気が残っていました(ほかの街のいわゆる下町とは感じが違いますが)。

 さらに横着心に生家をもと思いましたが、ネットで検索しても何も出てこなかったので、おそらく秘匿にしてあるのだろうと思って諦めました。

 作家の経歴を辿る最低限のマナーとして、無理して探し当てないこと、本人が見られたくないだろうと思う場所に立ち入らないことにしているからです。

 村上春樹を辿る旅も、彼がフィッツジェラルドを辿る旅のエッセイ(『フィッツジェラルドブック』)において、生家から魂が残るロックヴィルの墓地までの巡礼の旅をしたのを読んだので、こんな真似をされても、きっと許してくれると思ったのです。

 もちろん村上春樹は死んでいないので、巡礼とは言えませんが、このまま亡くなるのを待っていたら、こちらが先に魂が旅立ちそうなので、勝手に前倒しさせてもらいました。

 そしてJR駅の打出駅まで歩き、学生の頃に通ったという芦屋市立図書館分室を訪れました。まだ開館前だったので外観しか見られませんでしたが、噂(ネット)通りとても素敵な外観をした建物でした。ここで恐らく彼の文学的基礎ができたのだろうと思うと、勝手にわくわくしました。

 さらに、そのまま芦屋駅まで歩き、三宮に向かったのですが、この一連の大ざっぱん村上春樹をなぞった旅(散歩?)においてわかったことと言うと、とにかく街に漂う空気です。

 かつて吉本隆明氏が芥川龍之介の文学の源泉を下町(蚊が飛び交うようなドブの匂い)の中の空気に見いだしたように、村上春樹の場合は、同じ下町かもしれませんが、紅茶の香りが漂うな西洋文化の空気を感じました。

 そして、これこそが、村上春樹特有の作風と、そこに漂う品の良さの一因を作り上げたのだろうと思ったのです。図書館一つとても、私の町のありきたりなものとはまるで出来が違っていました。

 もちろん、生まれた環境がすべてを決めるものではないでしょう。生まれに影響されない作家もたくさんおられるでしょう。

 しかし、あの自然ににじみ出る品位というのは本人の努力ではどうにもならないものがある気がします。

 それが、あの夙川から芦屋の中に見えない空気として漂っていたのです。

 そして、彼のエッセイにもあったように、かつて生家からは歩いて海水浴場まで行けました。しかし、その数年後、浜は突如埋め立てられ、防波堤が出来て、泳げる環境は奪われて、彼はエッセイの中でその喪失の哀しみを書きました。そして、高校を卒業後に神戸を去りました。

 確かに、行った時、香櫨園からは海はまったく見えませんでした。
遙か遠くに六甲アイランドの高層ビル群が見えただけです。

 浜が埋め立てられた数十年後、これもエッセイにあるとおり、この光景になったとき恐らく村上春樹はとてもがっかりされたことだと思います(確か空き缶を投げ込んだ?)。というのも私も似たような経験を持っているからです。その辛さはわかります。

 しかし、まだ北に振り返れば六甲山がある。おそらくそこはあまり変わっていないのでしょう。それこそ遠目からも高級そうな住宅が並んでいるのがわかりました。

 そして、ここであることに気づいたのです。この町には山があり、泳げる海があり、文化的な空気が充満し、西洋風の開放感がある。それがぎゅっと一カ所に凝縮されている。それはつまり冒頭で書いた神戸そのものだということが。

 つまり、村上春樹とはまさに神戸、神戸的なものが産み出した作家なのだ。突然理解できたのです。

 その後村上春樹は、早稲田大学に進学して作家となり、海外生活(神戸に似たボストン)の後、神奈川県の大磯に家を構えることになります。

 大磯は私の祖母の実家でもあるので、何度か行ったことがあります。そこは泳げる(サーフィンもやれる)海があり、振り返ればすぐに山がある。町(鎌倉)にも近い。つまり、彼が幼少期に育った、かつの夙川にどこか似ているのです。

 では、文化的なものはというと、彼が東京の青山にオフィスを持っていることで想像が付くと思います。このことからいったい何を言いたいかと言うと、これは作家に限ったことじゃないかもしれませんが、人は幼き頃に味わった空気に生涯影響されがちだということです。

 たとえ故郷を捨てたとしても、知らず知らずのうちに、再び降り立った地に、否応もなく故郷を見いだそうとするものなのです。それは同じ地理を意味するのではありません。知らず知らずのうちに似たような雰囲気、空気、文化、家族環境を身近に再現してしまう(しまっている)ということです。

 それは、その人にとって、時には呪いであると同時に、祝福であり、小説家にとって作品の雰囲気を決定づける何かかもしれません そして、そのことを自覚的に理解し、作品として現すことが、その人のオリジナリティの源泉になり得るのだろうと思ったりもします。

 三宮の駅の構造が未だ理解できていない(いつも迷う)仲村でした。
 ではまた 

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