仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

信用をどう使います?

  お金というモノが未だによくわかりません。大切なものだということはわかります。お金は、モノとモノの交換価値という意味もわかります。すでに金本位制ではないこともわかります。ベーシックインカムにも賛成です。前澤友作さんが目指す「お金のない世界」にも賛同します。

 しかし、やはりお金についてよくわかりません。そして、今はその代わりにその人が持つ「信用」自体に、お金以上に大切な価値になると言われているから余計です。
 そもそもお金というのは、ただの金属や紙であり、国家を背景にした信用でしかありません。

 つまりお金も結局のところ信用であり、信用こそが価値があるということの証左なのでしょう。
 そして、お金を稼ぐ、お金を使う、お金を貯める。いずれもお金が目的語となっています。

 動詞として使われる言葉は、数え切れないほどありますが、結局のところ意味としては稼ぐ、貯める、使う。この三つに集約されると思います。

 では、この目的語を「信用」に置き換えたとき、信用を稼ぐ、信用を貯める、信用を使うはどういうことになるか、少し考えてみたいと思います。

 信用を稼ぐと聞くと、最初に思い浮かべるのはSNSでしょう。 フォロワー数の数が多いほど「信用がある」とも言われています。企業の採用において、ツイッターで一万以上のフォロワーがあるのを入社条件に挙げている会社もあると聞きます。

 もちろん、フォロワー数が多ければイコール信用があるとは言い切れませんが、信用が目に見えない以上、とりあえず一つの目安となるでしょう。

 そして、信用を貯める。これはフォロワー数を維持することでしょう。どんどん目先を変えて維持しようとする人もいれば、新しいことをせずに、今の数を維持しようとする人もいるでしょう。
 「信用を使う」。これが一番難しいのと同時に、今、一番脚光を浴びていることだと思います。

 アフィリエイトや、情報商材、サロン、書籍出版、You Tuberなどは、その先例でしょう。しかし、この信用を使う。つまりお金で言えば消費です。

 そして、得られた信用を果たしてどう使うか。それはお金の使い方に通じるものがあります。
 つまり、この信用をどう使うかが、信用がお金以上の価値を持つようになると、その人の価値を最終的に決めていくような気がします。

 お金の場合のように、高級車や高級コンドミニアムのようなものに使うのか、まだ世の中に出てきていない、新しい使い方を提示するのか。最近の前澤さんのお金の配り方は、「信用」の使い方の新しい可能性の一つだとは思います。

 もちろん今後信用の価値が上がったとしても、信用そのものに過剰に最大の価値を置くという考え方もあれば、プライバシーや安らぎ犠牲にするのは嫌だから、あえて置かないという考え方もあります。

 とりあえず、今後はその人のことを深く知りたいと思ったら、十億の使い方を聞くよりも、1億のフォロワーを得たら何をする?と訊ねる方がいいのかもしれません。

 信用をどう稼ぎ、どう貯めて、どう使うか。そしてそもそもどう向き合うか。これは今後、お金以上に考えないといけないことだと思います。ある意味、お金以上に世の中にインパクトを与えられるるからです。

 たまに宝くじが当たったために人生が崩壊してしまったという話をよく聞きます。これからは突然、信用(人気)を突然得た者が、少し使い方を誤って、同じ運命を辿ることもあり得るかもしれません。SNSが炎上して死を考える人が出てくるように。

 もちろん、信用という言葉は狭い意味での人間関係に対しても使われます。
「あいつは信用がある、ない」。「信用してお金を貸す、貸さない」等。

 そして当然ながら信用はお金と違って目に見えません。信用はあくまで 当事者間の主観です。

 いくら、信用などいらないと思っていても、この社会で生きている限り、完全に自由にはなれません。全ての信用を失ったとき、その人はきっと精神的にも破産してしまうでしょう。

 さらに、人に対する信用というものは日によって変化していきます。昨日まで信用できた人が急に信用できなくなることもよくあります。

 結局のところ、これからお金を以上に、信用が大切な世の中になるとしたら、大切に扱わないとお金以上に大変なことになりかねないということです。

 「信用」とは目に見えないからこそ、かえって恐ろしいものだと思います。人はお金の破産については、とやかく言えますが、案外、個人レベルにおいて他人や自分に対する信用については、曖昧でほったらかしにしていることが多いと思います。

 ある程度信用していないと、家族に対しても恋人に対しても疑心暗鬼しか生じないから、辛くてたまらないから仕方がないからでしょう。

 しかし、どこまで信用するのか、言葉までなのか、態度なのか、具体的な行動なのか、思想なのか、生き方なのか。

 それが、はっきりしないからこそ、相手方への信用を散財したり、ため込んだり、信用を得ようと自分を曲げたりしがちです。

 そして、個人的には、お金も信用もある程度あって、これを意識しないで生きていけるのが、一番幸せのような気がします。

 再びお金に例えますが、借金があって常にお金を意識させられる。子供の養育費が足りない。逆に、有り余るお金をどう使うかを考えなくてはならない。それはある意味、不幸な状態です。

 日頃は完全に忘れている。それがお金と同じく、信用対する接し方としては一番いいのかもしれません。

 ツイッターのフォロワー数を、アカウントごと売り買いされていると聞いて、買ってどうするのだろうと思った仲村でした。
 ではまた 

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」