仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

紅葉はどうやって狩るのでしょう?

  小さい頃、大人達が秋になると、紅葉を見に行く理由がよくわかりませんでした。紅葉のどこがきれいなのかと。ただの枯れ葉の集まりではないかと。
 

 そしてそれは案外大きくなるまで続きました。なぜ、人々は秋になると、わざわざ遠くまで紅葉を見に行きたがるのか。とても不思議でししょうがありませんでした。
 紅葉は説明するまでもありませんが、木々の葉が枯れ葉となって落ちる前に赤や黄色に染まることを言います(科学的に言うと色素が抜けることらしいですが)
 

 つまり人間で言えば、老人期となった葉っぱです。
ですから、当然と言えば当然ですが、子供心にそれを見てきれいだなあとはなかなか思えませんでした。
 

 きれいだなあと思うよりも先に、見るのが辛かったのです。
 山全体が、黄色や赤色、橙色に彩られるを見たとき、美しいというよりも先に、ただ哀しみを覚えたからです。
 両親に連れられて、紅葉を見に言っても、「ほらきれいでしょう」と言われても、凝視するどころか、目を背けようとしたぐらいです。
 

 それは、哀しく扇情的な音楽を聴いたくときとまったく同じでした。悲しいメロディがまったく受け付けられなかったのです。
 

 しかし、いつしか大人になり、様々な哀しいメロディも聴けるようになった頃から、不思議なことに、なぜか紅葉の美しさもわかるようになってきたのです。
 つまり、人は生きること自体が哀しみをともない、そして哀しみがあるこらこそ楽しさも喜びがあるのだとわかったからです。
 

 それは桜が散るときの哀しさに通じるものなのかもしれません。一枚の葉の哀しさ。一枚の桜の花びらの哀しさ。
 その哀しさを自分の人生の哀しさを併せて味わうことこそ、紅葉を楽しむ醍醐味なのだとようやく理解できた気がします。
 

 一説によると、紅葉を見ることを「狩り」と言うのかというと、
その昔、平安貴族が紅葉した木の枝を切って(刈って)、家の中で愛でているのが流行っていて。「 刈り」が「狩り」になったというのが始まりらしいです。
 さすがはやまと心の平安貴族です。
 

 しかし、紅葉狩りが一般民衆に広まったのは江戸時代ということらしいので、一般の民衆の美意識もようやく平安貴族に追いついたのかもしれません。
 江戸時代の庶民は紅葉を私と同じように、哀しい自然現象と受け取って、とても愛でる対象ではなかったようです。事実、俳句でもほとんどその美しさを歌われることはありませんでした。
 

 それまでの市井の庶民は、命に関わる厳しい冬を前にして、そんな悠長に紅葉を愛でる気分にはならなかったのも当然でしょう。
 しかし、現代の日本では、紅葉を楽しむ行事がすっかり定着しました。
 

 それは冬のつらさが耐えられるようになったというよりも、先達者である平安貴族たちがそうであったように、本居宣長が言った「もののあわれ」を、美意識の中心にする民族性にあるのかもしれなません。
 

 季節には四季があり、日々その姿を変えていく。そして1年を巡る。その中で消える命もあり、あえて切り捨てなくてはならない命もあります(木々にとっては冬を越すために、落葉するように)。 その移り変わり自体を、空しい哀しいものと切り捨てるのではなく、移り変わること自体を美しいと思える意識があったのです。
 

 それは、この国に暮らす人々の心の中に、通奏低音として流れているものだと思います。
 それは、世界的にも見ても特異な意識だと思います。
 

 そしてそれはいろいろな日本の文化的なものにも繋がっている気がします。
 石の家の文化ではなく、木の文化もそうですし、使い捨ての文化(物にこだわらない)もそうだと思います。それはいい意味でも、悪い意味でも、人の思考だけではなく行動様式にも及んでいます。
 

 少し話がそれてしまいましたが、平安時代のごく限られた特権階級しか享受し得なかった紅葉狩りのような美意識というものは、今は見向きもされていないが、突然、ブームとなって定着化するかもしれません。
 

 それは、新しい文化ではなく、元々持っている美意識の発現かもしれません。
 ひょっとして、万葉集や、源氏物語に出てくる貴族の遊びが、今後一代娯楽に発展するかも。
 

 例えば、船遊び・・・。蹴鞠・・・。
 

 また、大きなことを言い過ぎかもしれませんが、外国からカジノなんか持ってくるよりも、過去に行われて、人々の意識にのこって美意識を再発見し、これを現代風にアレンジして再現したほうが、この国の文化風土には合っている気がします。
 

 ライトアップされた紅葉を見ていると、哀しいというよりも可哀想に思えてしまう仲村でした。
 ではまた