仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

やっぱりウォルト・ディズニーなのか?

 最近のディズニー映画(最近見たスターウォーズも一応ディズニーですが)は、アナ雪を始めほとんど見たことがない。これは単純に好き嫌いの問題だけれど、創立者であるウォルト・ディズニーに対しては深い尊敬の念を抱いている。そしてその人生に深い興味を感じている。私が主に児童文学を書いているせいもあるが、ディズニーが夢見たこと、そして実現させようとしたことに深い共感を覚えるからだ。

 これまで伝記を何冊か読んできたが、彼も結局のところ、私と同じように「物語ること」に憑かれた人の一人だと思う。ミッキーマウスを始めとして、アニメというツールを使って子どもたちを喜ばせることに生涯を費やした。そして、最後は自分の物語の終着であるディズニーランド(その次にタウンを作ろうとしていた)を世界に現実化させた。

 もし、これで彼がいちアニメーターに終わっていたら、ここまで敬意を払っていないかもしれない。ともあく自分の物語を苦労の上実現し、さらにはこれを大成功させたことが偉大なのだ。同じ物語を作る者として最大の賛辞を送りたい(私などが言うのがすごくおこがましいことは充分わかっています)。

 なぜそこまで? それは、物語を作る快楽を覚えた者が目指す最終のゴールだからである。それというのも私の文学に生涯を捧げる上で、いくつかの課題を持っているが、その一つである二葉亭四迷が世の文学者に投げかけた。「文学はシビアな現実に対してまったくの無力である」という問題に対する回答の一つだと思っているからだ。

 物語ること、そのツールの一つである「小説を書くこと」は不幸なことであり、のろいであり、書かないでいられるならそれにこしたことはないと言った作家がいた。私はそうは思わない。

 小説家という存在を、あまりひとかたまりにして断言したくないが、何かを表現したいと切実に思う人は、おおよそ現実に対してコンプレックスを抱いていちだ。うまく適応できる人の方が少ないだろう。同時に現実に対して無傷でいられる人は、そもそも小説家として不向きである。だからこそ空想に思いを馳せる。そこに現実逃避する。

 それが積もりに積もると、やがて社会に対して何かを訴えたくなる「私の存在を認めて」、「私の話を聞け」と。その一つが小説を書くという承認願望に変わっていく。

 それは、趣味に始まって日々の慰めというものから、自己救済のレベルまで到達するレベルのものまで、結果はそれぞれだ。とにかくそこに共通するのは、自分が作り上げた空想の城を、小説だろうと漫画だろうと現実の世界の中に示すこと、あわよくば自分の旗を立ててみんなに仰ぎ見させることである。

 少し前、「西野亮廣氏がディズニーを超える」と宣言していたが、それはその考えの延長上にあると思う(西野氏の方がディズニーより少しリアリストかもしれない)。

 つまりそれは、現実に対して無力感を味わった表現者が、目の前の現実を自分の力で押し返し、征服したいと思っているのだ。この彼が言う「超えたい」という言葉に表れているように、ウォルト・ディズニーこそそれを成し遂げた唯一無二の存在であることの証左である(よく文学者が政治家になりますが、これも現実化させたい欲望の一つの手段でしょう)。

 私も身の程知らずの若き頃、酔ったときディズニーを超えたいと口走ったことが一度や二度ある。勢いに任せてスタジオジブリに自作シナリオを送りつけたこともある。それぐらい、彼の存在は大きく、偉大な目標であり同時に壁だった。あの宮崎駿氏もウォルト・ディズニーに言及し、その作品について言葉を述べている。常にその存在を意識してきたといってもいいだろう。

 読んだ伝記の中で、自分が作ったディズニーランドのアトラクションの窓から、閉園が迫る夕暮れの中で、子どもたちが楽しそうに遊ぶのを見て、これまで感じたことがない幸福感に包まれていたという部分があった(と思います)。

 私は、その幸福感がよく分かる。同時にたまらないあこがれを感じる。そういった瞬間を、もし死ぬ前に一度でも味わえたら自分の本望だと思う。そして、その幸福感は別の特別なものではなく、色々な作家がこれまで作品の中で表現している。

 サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」のホールデン。良寛が子どもたちと遊ぶエピソード。そして作品でなくても、年老いた老人が、自分が作り上げた家の中で孫たちが安心して遊ぶ姿を見ている気持ち。

「物語る」ことの先の先、いったい自分はどこまで行けるのか。何をなしとげどんな景色が見えるのだろうか。幸福感なのか、それとも徒労感なのか。それまでに寿命が尽きてしまうのか。とにかくいけるところまで行ってみたい。ウォルト・ディズニーの名を見ると、いつもそのことを思い出し奮い立たされる。たとえそれが最近のスターウォーズのエンドロールにその名を見ただけにしても。

 ただ、私としては今のところウォルト・ディズニーの足元どころか、西野氏(応援しています)の後ろ姿すら捕らえていないのが問題だけれど・・・。

 ではまた

創造の狂気 ウォルト・ディズニー

創造の狂気 ウォルト・ディズニー