仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

Twitterでの俳句は誰が読むのか?

 このブログをやりながら、Twitterでは種田山頭火の「其中記」を模して俳句を載せています。少し恥ずかしいので、大体早朝のツイートと決めています。恥ずかしいなら載せるなという意見もあるとは思いますが、それは後ほど説明するとして、そもそもTwitterをやり始めたのは、結構前のことです。

 そのときは、今とは別のアカウントでやっていました。日々、時事のニュースや著名人の意見に対してリツイートしたり、盛んに自説を述べたりしていました。
 そこそこの数のフォロアーもいた気がします。

 Twitterにはまった人にはおわかりだと思いますが、自分のツイートが拡散したときの快感というのは結構なもので、やみつきになります。「いいね」の数も気になります。

 すると、だんだんもっとフォロワー数を増やそうと思って、無意識のうちに、だんだんと過激なツイートをするようになっていきます。少なくとも私はそうでした。
その結果、返信者とTwitter上で激しい言い争いになることもしょっちゅうです。半日がかりで言い負かそうとしたこともあります。そこで、ある日、突然気づいたのです。こんなことして一体何になるのでしょうか。ただの言葉の垂れ流しではないかと。

 確かにTwitterのツイートは一時間もしますと、タイムイランの遙か彼方に流れていってしまいます。言い争いも、自説も、リツイートも、いいねも。一瞬の内に過去のものですす。ほとんど読み返されることはありません。

 そこがTwitterのいいところと言えばいいのでしょうが、私にはそれがたまらなく空しく思われたのです。すると急に自分のツイートの全てが恥ずかしいものに思われて、とっさにアカウントごと削除してしまいました。

 そこから数年間Twitterはまったく見ませんでした。そして少し前に最初のブログを立ち上げたとき、ブログに読者を呼び込むために再びTwitterを始めました。それはあくまでブログのためでしたが、結局のところ前回とまったく同じようにTwitterにはまってしまったのです。

 そして、再び自然にフォロアー数に一喜一憂する日々を送るようになりました。それで何が起こったのかといいますと、気がつくとブログの文章がすっかり荒れていたのです。読者の気を引くために、芸能人のスキャンダルや、人気アイドルグループの解散などを話題として選ぶことも多くなっていました。

 そして、再び途端に空しくなったのです。ブログ自体恥ずかしくなって、今度はTwitterとブログのアカウントを削除してしまいました。
 そしてさらに数年経ち、再びこのブログをやろうと思った時、前回の失敗の轍を踏まないと心に誓いました。

 そもそもこのブログを始めたのは、大学教育(大学だけではなく全ての教育課程)において文系科目は、特に文学部は不必要であるという風潮に、すごい抵抗感を持ったことがきっかけです。文学に賭けてきた者として、何かできることはないかと思ったのです。

 本来は小説書きは小説というフォーマットで勝負すべきなのでしょうが、大学で文学を習うという是非は別として、現実の世の中に対して何の役に立たないという風潮を、言葉でもって少しでも覆したいと思ったのです。それどころか、文学はすべての学問の頂点(少し言い過ぎかもしれませんが)ですらあるということを口を大にして言いたくなったのです。

 そもそも文学は世に言われているように、人を堕落させるものではなく、人を向上させ、善く生きる有効な手段にさえなり得ると思っています。

 そこで、このブログの場を借りて、人生を文学に捧げようと決めて生きてきた初老の小説書きが、現実的な意味で成功できたかは別として、結果(まだ終わっていませんが)として悔いどころから、充分幸せになれたということを、出来る限り伝えられればと思ったのです。「文学は男子一生の仕事たる」と太宰治が言っていたように。

 さらには「ぜひ、あなたも幸せになるために文学をやりませんか」とより多くの人達を誘うために。

 Twitterの話に戻りますが、へぼな俳句を恥ずかしいのになぜ載せるか、それは世の中にすぐ媚びたがる自分を戒めるための縛りが欲しかったからです。呟くなら最低限、言葉自体を大切にしよう。少なくとも芸術作品たり得るものを作ろうと意識しようと。

 そこで、Twitterでは敬愛する種田山頭火の日記文学『其中記』のスタイルを真似ることにしました。種田山頭火は其中記の冒頭でこう言っています。少し長いですが、
「日記は人間的記録として、最初の文字から最後の文字まで、肉のペンに血のインキをふくませて認められなければならない。そして、その人の生活様式を通じて、その人の生活感情がそのまま、まざまざと写し出されるならば、そこには芸術的価値が充分にある」私もそう思っています。

 ですから、これからいくら恥ずかしくとも、私のちっぽけな生活感情のつぶやきとともに、へぼ俳句を載せていくつもりです。

 と言いつつ、時々時事ニュースに対して、リツイートしてしまう自分がいるのですが・・・。
 ではまた 

『種田山頭火全集・68作品⇒1冊』

『種田山頭火全集・68作品⇒1冊』