仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

ノマドワーカーに俳句は似合うのか?

 下手な俳句を作るのが好きです。とても趣味とは言うにはおこがましいですので、あくまで気晴らしレベルです。Twitterに載せているのは、先日も書きましたが、実はInstagramにも載せています。どちらも思っていた以上に反応が鈍いです。当たり前ですね。自分もTwitterで俳句が載っていてもスルーしかねませんから。

 それでも、なぜ俳句を作り続けるのか、そのきっかけは松尾芭蕉の奥の細道を読んだことからです。少し話がずれますが、昔から司馬遼太郎さんの街道を行くシリーズのファンで、それも読んで実際に行くのではなく、グーグルマップのストリートビューを見ながら読むのが好きでした。

 それを、たまたま奥の細道にも応用してみたのです。すると、これまで、少し感覚的に距離があった俳句というものがすんなり身体の中に入ってきたのです。それは不思議な感覚でした。俳句で詠われた蝉しぐれや、蛙が飛び込む音が本当に聞こえるような気がしまたのです。視覚というのは意外に重要な要素だと気づきました。

 それと同時に、松尾芭蕉が見ていたであろう風景を追っていたら自分も何か言いたくなりました。詩でもよかったのですが少し長いと感じました。和歌も短いですが、それでも長いのです。そこで、つぶやきともため息とも似た俳句がぴったりに思えました。

 そして、それが楽しくて自分も俳句を作るようになったのです。もちろん出来映えはとてもひどいものです。芭蕉翁どころか弟子の河井曽良さえにも笑われるレベルでした。

 そして、それは本当の散歩をしている時にも同じようなことが起きたのです。今まで見逃していた花や、雲が目に入ってきたのです。そして、写真を撮ったり、立ち止まったりして俳句を作っている自分がいました。

 かつて写真家が書いた本の中で、写真をなぜ撮るのかという問いに対して、「世界の素晴らしさをより味わうため」と言っていたのが、ようやく実感としてわかりました。

 写真と俳句とは違うかもしれません。しかし、何気ない風景に美しさを見いだすという点では同じだと思います。そして、特に風光明媚な有名な観光スポットに行かなくても、近所の川や公園、空を見るだけでも、世界の美しさを充分感じ取れるということが、わかってきたのです。

 ノマドのような生き方や、成功してお金を稼ぐことも生きてい実感を得られる手段の一つだと思いますが、それだけではなくただの散歩の中でも、充分実感を得られる瞬間があるように思います。

 誰もがノマドのようには生きられません(昔、高城剛氏や四角大輔氏のような生き方にあこがれを抱いた時がありました)。

 ノマドについては、また別の機会にお話ししますが、移動すること自体に快楽もあると思いますが、同時に移動せず、移動したとしても鈍足の歩みの中でこそ味わえる快楽もあると思います。 

 ほとんどの人は、仕事や家庭があり、ノマドを実践する人やホリエモンさんのような生き方に憧れつつも、結局はその場から動けない人ばかりだと思います。
 動けない人の気持ちを煽りに煽って、「夢」、「自由」、「好きなこと」、「無理をしない」、「自分らしさ」などの言葉を使って、結局のところ、お金を巻き上げようとするだけの者に対して、昔の人は「世間師」と呼んでいました。

 そう言った上っ面の言葉を弄して、近づいてくる者達にだまされないようにするには、こうした動けない環境の中で、自分なりの生きる喜びを見いだすしかないでしょう。

 人によっても課金ゲームも良いでしょう。ディズニーランドではじけるのも良いでしょう。お酒もいいでしょう。しかし、そういった外部から与えられた快楽はどこまでも果てがありません。上には上が必ず存在します。

 上があるということは、その上を作った人達がいます。そして、それを作った人が儲かる仕組みになっています。それが悪いと言うわけではなく、果てしない外部の快楽を求めていった先にあるもの、それは永遠の渇望しかないと思います。それを追い求める生き方も別に嫌いではありませんが・・・。

 ただ、年をとり、自分の可能性の限界をぼんやりと感じ、さらに身動き取れない環境の中で生きている人がいたとしたら、俳句などひねってみるのも一興だと思います。

 ありふれた住宅街で、早咲きの梅を見つけて足を止めて、この美しさを言葉に出来たとき、それは新しい世界を見つけたことと同じだと思います。そして、それはちっぽけかもしれませんが、充分生きる実感につながると思います。

 もちろん、俳句道を極めた方からは、素人が何をほざいていると思うかもしれませんが、生きるつらさの中で、何とか生きる喜びを見いだそうとする自然の気持ちは、俳句や写真だけではなく、すべての芸術において共通なことだと思います。

 ノマドが出来る人は努力家だなあと、つくづく感心する面倒くさがり屋の仲村でした。
 ではまた