仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

法律と文学は仲良くなれるか?

 法律と聞いて難しいと思う人は多い。特にガチガチの文学信奉者の人たちは、法律というものを毛嫌いがちだ。法律と文学は同じ文系でありながら真逆の学問という気がするからだろう。

 長いこと法律を扱う仕事をしていたので、法律については文学ほどでないにしろ深く考えて来た。そして文学とどう関わりを持たすのか。というより自分の中でどう折り合いをつけるかが長い間のテーマだった。果たして敵なのか、味方なのか、上なのか下なのか。

 法律は、つきつめれば暗記と理論である。ある問題が起こったとき、まずは条文を引用し、規範を定立てし、当てはめて結論を出す。判例もこういう構成になっている。
 実のところ、小説も基本的に同じである。主人公が問題を起こし、それを解決しようと、ある基準をもってくる(正義感や使命感)それによって、結論を出す。

 つまり、法律と物語は似た構造を持っているのである。比喩や暗喩があったり、必ずしも結論が出たりするとは限らないという違いはあるが、法律が、和解を別としてどんな難問でも結論を出さなくてならないからだ。そして文学も作品である以上、結論が出るとは限らないとしても、読者が納得した終わりを作り出さなくてはいけない。

 先日、文系の中では、文学が最高峰と言ったが、実際のところ法律と文学は、敵でも味方でもなく、文系の中の一卵性双生児に近い関係だと思う。さらに言えば、哲学も含めてその兄弟の一人である。哲学と文学の関係については、また後日に譲るとして、文学が長男と言ってもいい。

 というわけで文学と法律というのは、探求したい一つのテーマだったわけだが、この一見すると仲が悪そうな兄弟ですが、実はお互い補完し合える最高の兄弟になり得るかもしれないと思っている。

 文学をしたい人が法律を学び、法律家が文学がやることの意味とメリットはあるような気がするのだ。

 文学に魅入られた人は、以前にも書いたが現実に対して元々少し及び腰なところがある。だからこそフィクションで対抗しようとするのだろう。

 しかし、こういう及び腰だからこそ、法律を学んで欲しいと覆うのだ。法律というのはとても怖い物で、使い方によっては、簡単に人を殺せる武器になりうる。それと同時に身を守る盾にできる。

 だから法律を矛としてはななく、盾として持っているだけで、弱気な文学者は現実に対してもっと深く強く切り込んでいける気がするのだ。

 そして、現れた作品によって、現実に対して決して無益でないと証拠立てられる。

 逆に、立派な法律家こそ趣味でもいいから文学をやって欲しい。実際、法律家が書く小説家というのがなかなかいない。もちろんサスペンスや法廷物は別だが、是非フィクションとしての純文学、児童文学に参入して欲しい。多くの弁護士に会ってきて、車で言うハンドルの遊びがない人が多い気がする。

 それによって、法律的解決から漏れ出るような事件に対して、新しいアプローチが可能になる気がするのだ。

 以上のことは、決して無謀でも、突飛なことでもなく、法律と文学についての学問も外国にあることからして、昔からあるテーマの一つなのだろう。

 それ以上に、文学の活性化に必要だと思う。医者と文学(広い意味で)、チェーホフや渡辺淳一、それに手塚治虫もいる。ただし法曹資格を持った文豪や、小説家がいないのがとても残念である。

 小説家であり弁護士であるような人は、これから新しい時代を作りうる存在になれるような気がする。

 血が嫌いなので、絶対に医者にはなれない仲村でした。
 ではまた  

増補新版 法とは何か 法思想史入門 河出ブックス