仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

小説家はYouTuberになれるのか?

 最近、敬愛する高橋源一郎氏がYouTubeを始められました。以前、ユーチューバーになられると聞いて、ずっと番組を楽しみにしていました。そして、第一回を見たのですが、それは自作の朗読でした。たまたま好きな作品でしたので、最後まで見届けることができましたが、全体の感想としては? でした。一言で言えば拍子抜けでした。

 もちろん、ヒカキンやヒカルのような有名なユーチューバーに対抗するようなものを期待していたわけではありません。

 ご本人もそんな気持ちはさらさら持っていないとは思います。しかし、本音で言えば、メディアに露出するということは、やはりやるならチャンネル登録してもらいたい、同時に自分のことを知ってもらい、そして自分の本を読んでもらいたいと願っているはずです。

 その宣伝ツールとして、YouTubeを選ばれたのでしょうが、そもそもYouTubeとう映像メディアが、文学と親和性があるかというと、少し薄いような気がします。

 単純に作品のPRとしての位置づけなら、高橋源一郎さんクラスならば、かなり効果があるでしょう。しかし、一つのYouTubeを使っての文学活動という視点から見れば、朗読スタイルは古いような気がします。

 というのは、小説家がメディアを使おうとするとき、朗読スタイルを選ぶというのは安易だからです。別にディスっているわけではありません。かつてこれまた敬愛する村上龍氏がテレビに出始めた頃の、テレビの使い方が斬新だったので、これに似た刺激を期待していたから少し裏切られ気がしたのです。

 ところで小説と映像、この二つの間の関係性というのはYouTubeが出る前からある、案外古くて新しい問題でもあります。

 法的な著作権、映像化権については別の機会に譲るとして、小説が映像化することについては、いろいろなエピソードとトラブルがついて回ります。

 最近ではフジテレビの「海猿」。少し前では、ミヒャエル・エルエンデの「はてしない物語」。前者は金銭。後者はその作品の質が問題となりました。ミヒャエルエンデの場合、出来上がった作品のあまりのひどさ(ヒット曲を含めて、そこそこヒットしたが)で、原作の名前をつけるのを許さずに裁判になってしまいました。

 自分としては、ミヒャエル・エンデの気持ちはよくわかるのですが、原作者の世界観や空気を百パーセント映像化されることを、期待しすぎたのだと思います。映画の世界では、原作に近い雰囲気を再現しようとがんばりすぎて、返って失敗してしまった作品の方が多いでしょう。

 村上春樹氏や、カズオイシグロ氏(一部脚本を手がけていますが)のように、映像化を許した作品というのは、原作者の手を離れた監督のものであり、その出来不出来は問わないというふうに、完全に割り切って考える人もいれば、村上龍氏、ワンピースの尾田さんのように自作の映像化にもこだわって、自ら脚本、監督を行って、自分の手の中で再現しようとする作家もいます。

 そのどちらが正しいというわけではないですが、自分の思い通りの映像化するには、自ら手をかけるしかないとは思います。

 しかし、いい加減に手を出すと、どうしても中途半端な結果になりやすいと思われるます。結論から言えば一番面白くない結果をもたらす可能性があります。

 前述の高橋源一郎氏のYouTubeデビュー番組を見た限り、そういった感じに陥っているように見えました。

 もし自分の小説をより多くの人に知ってもらいたいということなら、映像化を誰かに全面的に委ねるか、自ら全てをやるのかどちらかに振り切った方がいいと思います。

 もちろん、朗読以外にも、今後討論や対談などのように、かつて文学雑誌で行われていたことの映像版をやろうともくろんでいるかもしれません。他にもあっと驚くような仕掛けを考えられいるかもしれないので、早々に判断するのは失礼なのでしょう。

 とにかく文学のトップランナーである高橋源一郎さんのYouTuber活動には今後も期待しながら見守っていきたいと思っています。

 これに関連して、小説に限らず何か実現したい人はYouTubeを始めればいいのにという傾向の本がよく売れています。事実、うまくやれば成果も、知名度も売り上げも上がるでしょう。

 しかし、そもそも小説を書いたり、漫画を書いたりする人は、人前に出るのが苦手であったり、できれば避けたいと思う人が多いと思います。だからこそ引きこもって小説を書いているのだからと。

 メンタリストDAIGOさんや、中田敦彦さんのように振る舞えたら、作品も売れるし、人気も出ることでしょう。ひょとしたら大きなチャンスが得られるかもしれません。

 しかし、自分に限って言うなら、やはりYouTuberになるのは恥ずかしいです。しょぼい顔をさらして朗読などとてもできません。ならば自らの手で作品の映像化ですが、今からCGの技術を覚えたり、作業したりする時間も能力もとてもありません。

 そして、恐らくCGの技術が進んで、今の映像化の作業を全て一人でできるようになれば、脚本から、音楽、監督まで一人でできるような環境が可能となるかもしれない。そうなったとき、小説家という分野だけではなく、映像化まで含めた作家が成功するようになるでしょう。小説が復権するのは、実はその時かもしれません。

 普段、YouTubeはほとんど見ないですが、たまに見るとき、かつての勢いがあって、懐かしきテレビ最盛期の番組を思い出させます。今から考えるととんでもないですが、エログロナンセンスなどなんでもありでした。

 この後、YouTubeはテレビの後を追って隆盛を極めるのか、コンプライアンスと自己規制で表現の幅を狭めて消えていくのかはわかりません。

 ただYouTubeに限らず、noteや、インスタグラムなど新しいツールが登場したとき、文字を使った小説という分野と新しいツールの関係性(親和性)を常に考えて行かなくてはならない時代です。その新しいツールを使って何を、どこまでやるか、中途半端に終わらないためには、ただ関心を持ち続けて、高橋氏のように試してみるしかありません。

 これからの時代、小説だけを書いていればいいのか、だめのなのか。まだ踏ん切りがつかない仲村でした。
 ではまた

カンタンに売れるのになぜYouTubeをやらないんですか!?