仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

もう一度めぐりあえたら?

 昔から機動戦士ガンダムシリーズのファンです。特にファーストガンダムから始まる宇宙世紀シリーズが好きです。

 ほぼすべてのガンダムシリーズを見てきたといっても良いのですが、実はそもそもの始まりのファーストガンダムについてはテレビシリーズの後半は見ていないのです。

 なぜ見なかったのか?それは先に映画の方を見てしまったからなのです。映画の方がはるかに出来がよかったからでした。

 小学生だった自分は、ガンダムのことを何も知らずに、親から従兄弟と一緒に映画に連れて行ってやると言われ、自分はドラえもんの映画、従兄弟が機動戦士ガンダムIという映画を見たいと言いました。

 当時、両親からほとんどテレビを見させてもらえていなかった私は、ガンダムのことを何も知らなかったので、そんなロボット物と嫌だと思いました。しかしドラえもんを特に見たかったわけでもなかったので、従兄弟に押し切られる形でガンダムを見に行くことになりました。

 しかし、まだ小学生の低学年、おまけにテレビシリーズを見ていなかったので、ストーリー展開はちんぷんかんぷん、おまけ完結すると思っていたら三部作の一作目だということで、えっ?と思ったところで終わってしまって、かなりがっかりした記憶があります。

 それから十年ほど過ぎて、改めてテレビで映画版を三作見たとき、すべての伏線がつながり、特に完結編のⅢを見たとき、感動のあまり涙を流していました。これほど興奮して眠れなくなった映画は、「ヤマトよ永遠に」(古くてすみません)以来のことでした。

 今更ネタバレもないですが、見たことがない人のために少し乱暴に言ってしまうと「人はわかり合える。そして生死に関わらず、自分を待ってくれている人がいると思えることが、何よりも幸せだ」というストーリーです(もちろんこれには異論もあると思いますが)。

 当時は、ニュータイプ論議というのがあって、ニュータイプの定義とは何か考えるのが盛んでした(その後ユニコーンガンダムで明らかになる)が、自分としてはその物語の展開と結末の素晴らしさの方に感動していました。

 ガンダムの素晴らしさについては、いろいろな人がいろいろな角度で話していますが、私としては主人公のアムロ・レイが最後に言う、「まだ帰れるところがある。そんな幸せなことはない」というフレーズにこだわりたいと思います。

 話は少し変わりますが、誰しも子どものとき、快適かどうかは別として、親という帰るところがあります。そして一般的に言えば、思春期を迎えて、新しい居場所を見つけ、親離れをして家庭から巣立っていきます。

 そして、このまま順調に進んでいけばいいのでしょうが、問題は、新しい自分の居場所だと思っていた場所が想像とは違っていたり、裏切られたりしたとき、そこからさらに新たな場所を見つけられるかということです。家庭内DVや、ブラック企業に入ってしまった場合がこれに当たるでしょう。

 ガンダムの主人公のアムロレイは、当初は意に染まないブラック企業だと思いながら、ホワイトベースという戦艦に仕方なく乗っています。

 しかし生と死をかけた激しい戦いを経ていく内に、次第に乗り合わせた戦友たちと共感しあい、母親がいる安全な場所に残ることも出来たのにこの戦艦に残ることを選びます。(別に、ブラック企業を正当化しているわけではありません)。

 映画の最後、敵の要塞から仲間を脱出させることを優先した後、なんとか脱出したアムロを、みんなは脱出用ランチ(宇宙用ボートみたいなもの)から両手を挙げて迎えます。そこで映画が終わるのですが、そのシーンが作者の言いたいことのすべてを象徴しています。

 よく考えれば、この時点で戦争はほぼ終結してしまいます。そしてみんなが乗っていた戦艦(会社は)はすでに沈んでしまってなくなっています。

 この後助かっても、いずれすぐに別れ別れになってしまうことは明らかです。しかしアムロレイは、あえてそれでも、それを自分が帰れる場所だと言い切りました。

 その場所とは何か?

 つまりそれは実際の土地や建物でも組織でもなく、表面上の安易なつながりと言うのでもなく、様々な大変な局面において、自分をさらけ出しながら、一緒に危機を乗り越えてわかり合えた相手から、迎えてくれる心の交流のことを言うのでしょう。

 言い換えれば、その一瞬さえ人生の中で一度でも得られれば、たとえそれが過ぎ去ってしまい、その後、永遠に失われたとしてもその人の生は救われるということなのです。

 しかし、現実の中ではその一瞬というのは、簡単に得られそうでなかなか得られません。スポーツチームは似たようなものかもしれませんが、私のようにそもそも集団が嫌な人は、手に入る前に逃げ出しているでしょう。

 では、そんな強烈な一瞬をどうやったら味わえるか、それは各人それぞれだと思います。それは少なくとも、宝くじが当たったとか、ドラッグなどという安易なものではないと思います。もちろん戦争の中でも味わいたくないですが。

 それは理屈や頭だけで考えたことではなく、「ああ生きていてよかった」という実感をともなったものです。

 そして、そんな生を支えられる瞬間を、それこそ毎日の暮らしの中で得られたら、それが一番の幸せなことだ。それは案外どんな環境でも手に入るものだと。そのことをこの映画は教えてくれました。

 アムロ・レイは、ララァという相手と、一瞬の邂逅で恋に落ちます。そして、時空を隔ててまでも共感し合えた相手を、戦いの中、自らの手で殺してしまいます。

 映画でのアムロの最後の台詞は、「ララァとはいつでも遊べるから」というものです。

 これは、ニュータイプというのは現実での生き死にとらわれることがない存在であること(肉体を超える)を暗示しています(このモチーフは続編のΖガンダムでさらに明確になる)。

 これは私の「ガンダムは仏教思想である」という持論にもつながるのですが、生身の肉体を持っていいて必ず死にとらわれる我々が、死を超越するのは永遠の一瞬、こうした刹那をいかに掴めることだということだと思います。

 昔、ニュータイプになりたいと願った少年が挫折していく「ニュータイプになれなくて」という青春小説を書いたことを思い出した仲村でした。
 ではまた

 

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