仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

「暮らし」というのは死語?

 「暮らし」と聞きますと、同じような意味の生活という言葉より、少しだけ上品に聞こえる気がします。

 このブログの「暮らしの文学」という題名は、敬愛する池田晶子氏の最後の著作「暮らしの哲学」からヒントを得たものです。

 「哲学的エッセー」という分野を開拓した池田氏の初期の作品は、どれも舌峰鋭く、哲学によって世の中を変えようという挑戦的な意欲に満ちていました。

 「無敵のソクラテス」のような、才気溢れる昔の作品も好きです(個人的には直木賞をあげてもいいぐらい)が、最近好みなのは、彼女の最晩年の作品です。そこには癌で亡くなる前の、静かな諦念というか、人生を総括すべく静けさに満ちています。

 もちろん人が暮らす営みの中で、哲学することの意義を始めとして、愛犬の死について、運転についてなど、感じて思索したことが記されています。それらはまさに、暮らしの中の哲学です。

 これを読みますと、池田氏が丸くなったと思ってがっかりする人がいるかもしれません。どこか、大人になってしまったように。同時に、人格として幅が出てきたとも思う人もいるかもしれません。

 そして、何よりもかつて哲学のための哲学だったのが、「暮らし」という、人が普通に生きる日常を通すことで、かなり目線が下がってきたのが、とても印象的です。

 池田氏を自分にとって、哲学の先生だと思っていますが(きっと亡くなった池田氏は先生と慕う暇があれば、自分の頭で考えろと言うでしょうが)、文学の先生は夏目漱石です。

 夏目漱石も、「暮らし」の中で文学を考えようとした人だと思います。落語が好きで、智に働けば角が立つ。情に棹をさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とにかく人の世は住みにくい・・・どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」という草枕の冒頭の文章にも、如実に表れていると思います。

 ところで哲学と文学の違いは何か。一言で言うのは難しいですが哲学は、真理ついて論理を持って解明しようとする態度(わからないことはわからないと知る)であり、文学とはその過程で考えたことを、誰にでもわかるような物語にまとめ上げることだと思います。

 もちろん哲学は文学のために存在しているわけではなく、その逆も然りです。哲学なくても文学は成立しますし、文学なくして当然に哲学も成立します。

 かつての偉大な哲学者であるプラトンが記した著作が自ずと詩となり、物語となったように、哲学者が文学を手段として使うこともあり得ます。この場合、どちらかがより重要というわけではありません。

 池田さんは、当初は哲学的エッセイだったのが、次第に文学的エッセイの比重が大きくなっていった気がします。その現れが晩年の「暮らしの哲学」だと思います。

 そして、「暮らす」という言葉と哲学という一見真逆だと思えるようなものを、どうにか関連づけようとしました。というよりも暮らしの中に見いだそうとしました。

 誰もが生きている以上、毎日を暮らしているのですから、そこには軽重の差はあれど必ず何かしら哲学があります。そして、年を重ねるほど、切実な哲学が必要となってくる。そう思ったからこそ、暮らしの哲学という題名にしたのでしょう。

 しかし、彼女は病気のために、その試みは途中で終わらざるえなくなりました。自分としましては、暮らしの哲学というものを継承する力も能力もありませんので、同じぐらい「物語る力」を信じていた夏目漱石先生の力を借りて、暮らしの文学というものをやってみようと思ったのです。

 人が人生の折り返し地点に来たとき(実際の年ではなく感覚として)、何が必要か?家族なのか、仕事なのか、やりがいなのか。自分としては、やはり切実な言葉だと思います。

 その必要となる言葉の数々は、今後百年時代といわれる長寿命社会において、延命治療技術や、STAP細胞よりも必要なものだと思います。

 高齢化社会で必要なもの。それは切実な言葉たちであり、さらに言えば、最後まで精一杯生き抜くための、かけがえのない物語だと思います。

 そこには人生観、死生観や、働き方も含まれると思います。
 これからは長く生きるというより、結果的に長く生きてしまう。そのことを考えれば、お金や何か物なんかよりも重要になるのは明らかです。

 死ぬということも、暮らしの中の一現象に過ぎません。宮沢賢治ふうに言えば、「暗闇の中で明滅する街路灯の光の一つ」のようなものです。

 その人が死ぬとき、どんな物語を抱えていられるのか。極端に言えばどんな言葉を持って死ねるか。どうやったら持つことができるか、そのことを自分の暮らしの中で考え続けられればと思っています。

 さらに言えば、生きるのがふっと楽になるような魔法の物語。そんなものが一つでも書ければ、それは小説家冥利に尽きることでしょう。

 と、自らハードルを上げていつも苦しくなる仲村でした。
 ではまた 

暮らしの哲学

暮らしの哲学

  • 作者:池田 晶子
  • 発売日: 2007/06/29
  • メディア: 単行本
 
無敵のソクラテス

無敵のソクラテス

  • 作者:池田 晶子
  • 発売日: 2010/01/01
  • メディア: 単行本