仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

自己啓発本、好きですか? 

 一見文学とは相性が悪そうな自己啓発本(ビジネス本)ですが、私は案外好きです。本屋に行くと必ず新刊を手に取ってぱらぱらと眺めます。

 自己啓発本とは、お金の稼ぎ方を含めて、どう生きるか、働くかということがテーマとなっています。

 しかし、実はそのテーマこそが、文学のテーマでもあるのです。もっと言えば、少し前までは、こういうテーマは文学がその役割を担っていたとも言えます。例えば働き方だったら、「蟹工船」ですし、太宰治、檀一雄などの私小説群などは、まさにどう生きるかというものです。

 そういったかつての文学が扱っていたテーマを、作者の経験をもとに、客観的データや社会情勢を加味して、理論化させたものが自己啓発本と言っていいでしょう。

 ただ、今はその分野は多種多様に渡り、自己啓発本なのか単なる働き方本なのか、稼ぎ方なのか、又はその全てなのかよくわからない混沌とした状況になっています。

 そして、文学が力を失って、人がどう生きるか。という人が望む、古くて新しいテーマに、現実的に応えられているのが自己啓発本ということなのでしょう。

 自分もかつて、サラリーマンをやっていたとき、辛くて辛くて、どうしても仕事を辞めたいと思っていたとき、図書館に行っては棚にある自己啓発本を片っ端から手に取っていたことがありました。

 それまで、こうした問題は小説の中に書いてあると思って、敢えて読まないようにしていた分野なのですが、自己啓発本のパイオニアと言ってもいい、「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んで、なるほどと思ったのが運のつきでした。続けて本多直之氏の本にはまり、前述したように高城剛氏の本にはまり、岡田斗司夫氏、最近では堀江さんの本にはまってきました。

 ミーハーと言えばそれまでですが、やはり新しい生き方、考え方というのは自分にとっては魅力あることで、どうしても触手が動いてしまうのです。

 しかし、自分の頭で考える。おそらく文学をやる者にとっては考えることの放棄かもしれません。

 話を戻しますと、自己啓発本と小説の最大の違いは、自己啓発本というのは、当たり前ですが、ある目的があるということです。お金儲け、事業、転職、性格を変える、楽に生きる、自由等々。

 それを得るために、具体的な実践をコーティングしていくことです。

 そしてそのやり方は、時代とともに変わってきました。金持ち父さんは、そのままお金を稼ぐ。ノマド系では四角大輔氏や高城剛氏、起業についてはアフィリエイトの人や、岡田斗司夫氏の信用経済。言うまでもなく堀江氏、そして自由については、サンクチュアリ出版の人、自分らしさ系を経て、最近流行っているのが無理をしない系。
 この一連の流れは、ひょっとして社会学が扱う分野かもしれません(大学で社会学を専攻していたので)、これを学問的に研究したら、結構面白いものが出来るかもしれません。 

 先日も書きましたが、今、脚光を浴びているのは、最強のメディアであるテレビに近いYouTubeでしょう。そこで自己啓発系で話している人は、基本的に成功者です。文学のような自堕落的な生き方をのべるチャンネルはほとんどありません、成功体験こそが視聴者から望まれているからなのでしょう。

 逆に、文学作品の中では、そういった新しい生き方を提示した(実践した)人はほとんど失敗に終わっています。若しくは悲劇的な最後を迎えています。太宰治に坂口安吾、檀一雄も。司馬遼太朗の主人公(坂本龍馬、土方歳三)も。

 文学の中では自己啓発本のように、こう生きたら必ず成功するとは絶対には保証されていないのです。いい言葉だけを並べて、好きなことをやれ、夢にかけてみろ、自由になれとか言うのでなく、文学作品の登場人物は、成功の代わりにその払うべき代償をきちんと払っています。

 自己啓発本はその存在意義からして、その払うべき代償について書いていないか、書いてあっても取るに足らないことのように扱っています。堀江氏の場合、事業で失敗したら自己破産もできると書かれています。

 私だったら、事業を始めて自己破産でもしたら、たぶん債権者に申し訳ない気持ちで、とても立っていられないでしょう(その前にキャパ的に、のるかそるかの事業はやれないと思いますが)。

 それでも文学作品の読者は、主人公が最後に悲劇に終わろうとも、物語の中の生き方に惹かれて憧れを抱きます。

 しかし、その代償をもきちんと知ることで、安易に真似したり、追随したりしないはずです(かえって鼓舞される人もいるでしょうが)。

 自己啓発本にはまり、セミナーや会員制サロンに入って、成功ばかりを前のめりになっている人達を見ますと、成功の裏にある払うべき代償について、あまりにも無知なのことにとても危うさを感じます。

 例えばネットワークビジネス一つでも、本気にやれば成功するかもしれませんが、代わりに倫理観とか、友達を失ってしまったりするかもしれません。私の周りでも「夢」、「自由」、という言葉に引っ張られて、縁遠くなってしまった友人が何人かいます。

 もちろん彼らとは、友達としては縁遠くはなっても、本人が幸せならそれはそれでいいのかもしれません。しかし、たかがお金儲けのために、友達を失うというのは、とても寂しいことです。

 これから文学が自己啓発本に再びとって代わるかといえば、おそらく難しいでしょう。文学ができることとしたら、自己啓発本からインスパイアされたエッセンスを、逆に物語に落とし込むぐらいなものです。例えば、成功を手にした代わりに失うものを示し、現実に訴えかけるような強い物語を作ることでしょう。

 しかし、そう思うと自己啓発本は物語のネタとしてとても最適なものかもしれません。そして、それを提示して盛んに旗を振る人達も。

 そうは言っても、小説書きと自己啓発本を書く人は、何かを伝えたいというい点で一緒かもしれません。今は小説家から啓発系の書物(生き方本)を作る人がいれば、啓発系の人(こう言ったら失礼かもしれませんが)が小説を作る人もたくさんいます。

 今後、このシームレス感は一層深まっていくと思います。とにかく最後はどちらのサイドでからあろうとも、いい文学作品さえ生まれればいいとは思っています。
 自己啓発話って、結局は今風の説教話でしょうと思ってしまう仲村でした。
 ではまた

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