仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

働き方は生き方?

 物語る暮らしの中で、ずっと考えているテーマがいくつかあるのですが、その中に「働くこと」というのがあります。

 元々興味があったのですが、一時期労働法を専門にする仕事についていたこともあって、その時働くと言うことを真剣に考えざるを得なかったのです。

 自分が小さい頃、いつか大人になって働かなければならないということがとにかく怖くて仕方がありませんでした。肉体労働をやっていた父親が、辛そうに毎日呻きにも似た声を上げながら働き続けている姿を見て、とてもじゃないけれど自分には出来ない、やりたくないとと思ってしまったのです。おまけに生来の怠け者です。余計にそう思ってしまいました。

 人はなぜ働かなくてはならないのか?サラリーマンに限って言うなら、この問いに対する答えは、村上春樹氏の「そうだ、村上さんに聞いてみよう」の中で、「会社に勤めたって、こき使われてすり減っていくだけです」という下りに集約されていると思います。

 もちろんフリーランスとサラリーマンでは大きく違いますが、私の中ではとにかくこの言葉がずっと胸に響いていました。どんなに大企業でやりがいがある仕事に就けたとしても、しょせんはすり減っていくだけなのだろうと。日々肉体を痛めつけながら消耗していく両親の姿を見てさらにこの思いは強まりました。

 かといって、「食っていくためには仕方がない」という、動かせない事実もあります。それは当たり前ですが生きるためです。

 しかし、生きることと苦しく働くことはイコールなのでしょうか。 そして、この疑問を抱きながら働いている人はたくさんいると思います。もちろん周りには生きること、すなわち楽しく働くこと。と言っている人もいるでしょうが。

 ただ、今もそうですが、自分の周りに楽しんで働いている人をほとんど見たことがありません。やはり生きるために仕方なく辛そうに働いている人ばかりです。仕事にやりがいを見つけて、毎日楽しそうに働いている人って本当に存在しているのでしょうか。Twitterとかドラマとかブログではなく、リアルに見てみたい・・・。

 では、私が想像する、楽しそうに働いている人はどういう人か。当たり前ですが仕事にやりがいを持っている人でしょう。その他にも楽して働いている人も、その中に入れてもいいかもしれません。

 私も、自分なりに人生を「生きること=楽しく働く」にしたいと試してきました。小説家も広い意味で一労働者と言っても良いので、だからこそ志したのですが、いざ大学を出て就職するのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。嫌さのあまり、当時独立開業できる資格の通信教育を始めたこともあります。

 しかし、小説はものにならず普通のサラリーマンとして就職しました。そこで、思っていた通り、現実の厳しさを味わうどころか、叩きのめされることになりました。その時、働くのはどういうことなのか考える最初のきっかけとなったのです。

 そして出した結論としては、法律的に言ってもサラリーマン(公務員を含む)というのは、基本的に現代の奴隷であるということです。少し言い方が過激かもしれませんが、雇用契約書とは、つまるところは奴隷契約だということ。

 さらに言えば「生きること=楽しく働くということ」ことは、サラリーマンでいる限り不可能だといういうことも。

 では、だったら勤め人のほとんどは奴隷になるなのかと。私の答えはやはり「そう」です。

 奴隷の中にも、上級の奴隷と下級の奴隷がいて、上級奴隷の中にも嫌々働いている人もいれば、下級奴隷の中にも嬉々として奴隷に甘んじている人がいるという人がいるというだけです。

 同じ雇用契約書でも、働くと言うことと働かされるとでは、まるで意味が違ってきます。

 働くというプラスの面から見ますと、雇用契約書であり、働かされるという面から見ますと、それはただの奴隷契約書になってしまいます。

 もちろん、ご存じのとおり現実の世界の中では、労使の力関係は対等ではありません(なるようするため労働法が存在するが)。どうしても使用者側が強く、労働者側が弱くなってしまいます。雇用契約の契約時に異議を唱えるのは現実的に不可能(会社によっては契約すらしていない)なのはその証拠でしょう。

 そして、労使紛争は、この労使の力関係と仕事のミスマッチが元になっています。働かされて奴隷契約と受け取る人にとって、働くことは苦痛で仕方がありません。我慢に我慢を重ねて、ある日爆発します。そして一方的に解雇されて裁判になったりします。

 働き方とは、その人の勤労観(生き方)そのままであり、ひとそれぞれ違っています。それを同じようなフォーマットに当てはめようとするのがそもそも問題の始まりです。ですから、多くの勤め人は消耗するのでしょう。

 今、好きなことを仕事にする。自由に働く、夢を叶えるという耳障りのいい働き方について、話題になっています。同時に、過労死、働き方改革。

 しかし、正直言ってサラリーマンのほとんどは、明日の仕事に耐えられるか耐えられないかという、ぎりぎりの気持ちの中で、働いているというのが現状でしょう。
「どこまで我慢できるか」それは人によって許容度が違います。ブラック企業だから駄目という訳でもなく、将来のため何かを得るためのツールとして考えるなら、その人にとってはホワイト企業になるでしょう。

 一番本人に辛いのは、自分が何のために働いているのかわからないことです。食うためなのか、もっと言えばお金のためか、気持ちの充実のためか、何かを得るための必要最低限の行為なのか。お金のためだったとしたら、どこまでのお金で満足できるのか。やりがいのためなのか。

 そういうことを、できれば就職する前に考えておくと、同じすり減る人生だとしても、少しは自分と折り合いが付けやすくななる気がします。

 やはり働くこととは生きることです。しかし、働くことで人生を失うのは本末転倒です。過労死は使用者側に責任がありますが、労働者側も自分なりに考えておかないと、取り返しがつかない損失を被るのは労働者自身です。

 遊び=仕事=人生となれば一番ですが(これを実現させるためのビジネス本は多い)、それはほとんどサラリーマンである限り、難しいことかもしれません。

 もちろん遊び=人生が一番の理想だと思っている仲村でした。
 ではまた

 

労働法 (法律学講座双書)

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