暮らしの文学

物語る日々を送る仲村比呂のブログです。

ノルウェーの森はどこに?

 BE・FREE、Ζガンダムと来て、『ノルウェーの森』です。たぶんですが、日本人の中でまず間違いなく、一番読み返した人だと思っています(他人と比べることではありませんが)。
 

 回数でいえば、百回以上は通読したと思います。それもただ読むだけでなく、頭から模写したこともあります。大学生の頃は、ほぼすべての文を記憶してしまっていて、会社の余興で披露したこともありました(まったくウケませんでしたが)。
 

 ノルウェーの森という小説は、言うまでも無く村上春樹(敬称略)の代表作です。当時、最大の大ベストセラーでした。
 

 あまりにベストセラー過ぎて、さらに他の作品とテイストが違っているということもあり、熱烈なファンであるハルキスト(村上主義者)から嫌われていたりします。
 

 かつて幻冬舎の見城さんのエッセイの中で、現代に残っている古典作品は、すべて当時の大ベストセラーだった。というフレーズがあった気がします。人知れず残った名作などあり得ないと。
 

 確かに、それは文学作品に限ったことはないでしょう。漫画でも同人誌では有名だった作品が今に残ることはまずないのは同じだと思います。
 

 私は村上春樹の大ファンなので、全ての作品が時の洗礼から全て残って欲しいですが、図書館の一つの棚を占める過去の作家全集を見ると、見城さんの意見からすると、ひょっとすると百年後に残っている作品は、『ノルウェーの森』だけと思うときもあります。
 

 そして、このノルウェーの森という物語ですが、ストーリーは簡単に言ってしまえば恋愛小説です(と思われています)。
 

 簡単に言ってしまえば、主人公の「ぼく」が報われない恋をして、失恋する話です。相手方の女性(直子)が自殺してしまうのですが、何とか救おうとします。その死のきっかけとなったのは、キズキ君という幼なじみの死でした。
 

 このキズキ君は主人公のぼくとも親友であり、三人で遊びに行く仲でした。このキズキ君が死んでしまうことで、この直子という女性は精神のバランスを崩して死に引き寄せられるようになっていきます。
 

 といった話ですが、私がこの作品をなぜ、何百回も読み直したかというと、この恋愛の点でなく、このキズキ君という人物がとても好きなのです。
 

 この人物は、村上春樹の初期の「風の歌を聴け」から始まる三部作に出てくる、「鼠」というあだ名の登場人物に似ています。おそらく生き延びていたら、鼠みたいな大人になっていたかもしれません。
 

 彼はそうそうに自殺してしまうので、自らについては語りません。すべては主人公や、直子の口から語られます。そのキーワードは「彼の弱さ」についてです。
 

 彼女は言います「彼の弱さも好きだった」と。彼は死ぬまでそれを認められませんでした。だからこそ死ぬしかなかったと思います。逆に鼠は、羊を巡る冒険の中で、こう言います「自分のつらさや弱さが好きだ」と。彼はその物語の中で、世界の全てを手に入れるよりも、自分の弱さを選んで消えていきます。
 

 そして、ノルウェーの森の中で、このキズキ君と真逆のキャラクターだと思われる、永沢さん(東大法学部の学生、親は病院経営、イケメンで、女性にもてる)ですが、何回も読んでいく内に、永沢さんとキズキ君は同じ弱さを抱えていて、それが裏ストーリーだと思うようになりました。永沢さんとキズキ君は同じ「弱さ」を持つ、コインの裏表に過ぎない存在なのだと。
 

 永沢さんも、名言を吐きまくります。あくせす働く人に対して「それは努力とは言わない、ただの労働だ」、官僚を目指す学生に対しては「ほとんどは底なし沼に入れたいようなゴミだが」、「人に理想は必要ない、必要なのは理想ではなく行動規範だ」、「紳士であることだ」、「自分に同情するのは下劣な人間だ」等々。
 

 そして、二人とも弁が立ちます(キズキ君の場合は限られた集まりの中で)。
 さらに二人とも、ハツミさんや、直子のような魅力的な恋人がいます。そして、自分以上に理解しようとしてくれます。
 

 永沢さんは、外交官を目指しています(いとも簡単に合格してしまう)。
 国家という器の中で自分の能力がどこまでか試してみたいだけで、権力欲や金銭欲は持ち合わせていません。彼は自らの可能性を試すためだけに女性達との逢瀬を重ね、誰とも結婚する気はありません。ハツミさんも永沢さんが外交官としてドイツに赴任したのち、絶望して命を絶ってしまいます。

「弱さ」とはいったいなんでしょう。これも羊を巡る冒険からの引用になりますが、「道徳の弱さ、存在の弱さ、意思の弱さ」だと言っています。
 

 キズキ君は言うまでもないですが、一見リア充の永沢さんも、実はこの三つに当てはまっています。意思の弱さなどまったくないように思えますが、主人公が言っているように、永沢という人は人に背中を向けるぐらいなら、平気ナメクジを食べるぐらい日々強化しているのです。強い人は自ら強さを強化などしないでしょう。
 

 この二人の弱さのあり方と、その乗り越え方は真逆の方向を向かいます。キズキ君は自殺、永沢さんはやるべきことをやる(紳士の定義)「自分の力を百パーセント発揮してやれるところまでやる。欲しいものはとるし、欲しくないものは取らない」と。
 

 そして、二人とも女性を不幸にしてしまいます。この弱さとはまさしく私小説家のテーマでもありました。
 

 いったい、宿命的な弱さを抱えながら人はどう生きるか、生きていったらいいのか。そしてどう乗り越えるのか。太宰治のように周りを巻き込んで自滅するのか、鼠のように世界をさすらうのか、種田山頭火のように、一部の理解者に囲まれながら詩の世界で暮らすのか。
 

 これは文学での古くて新しい問題です。そして同じような弱さを抱える身として、この「ノルウェーの森」の二人の例は、この問題を徹底的に考えるきっかけになりました。そして、今でも考えています。
 

 同時に、この小説は結局のところ、人は誰もわかり合えないという小説です。わかろうとするがわかり合えない。
 

 恋愛小説でありながら、実は誰の恋も実っていない(最後、主人公は緑という別の女性に惹かれるが、本当に愛しているのかは不明)。実は人間は本当は恋愛ができるのかという小説かもしれないのです。
 

 そして、セックスシーンがふんだんでありながら、実はそこには心が伴っていないという、今のカルチャーを反映している恋愛小説なのです。
 

 この弱さを抱えてどう生きるか。ボーイ一ミーツ・ガール。報われない愛。これを描いてみせるのが村上春樹の真骨頂だと個人的には思っています。
 

 その完成形が「ノルウェーの森」だと思います。この本には私が求めるもののすべてが書いてあります。チープなベストセラー小説だと思うとやけどしてしまいます。
 

 単行本が読み込みと書き込みでボロボロになりすぎて、まるで過去の日記帳状態になっている仲村でした。
 ではまた 

ノルウェイの森 (講談社文庫)

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  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2018/12/07
  • メディア: Kindle版