仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

感情が浮いて出る文章

 ご存じのとおり、この世界は言葉で出来上がっています。その前に物があるじゃないかと思われるかもしれませんが、物も結局のところ便宜的に名付けられた物体に過ぎません。便宜的に赤い丸いフルーツを、「りんご」と呼んでいるだけです。

 

 人は、他人を分別していると思っていますが、70億人近くいる人間の中で、きちんと判別できるのは生涯で1,000人もいないと言われています。その他は、ただの人間でしかありません。
 判別できない、つまりそれは人という名でくくられる物体に過ぎません。そうなると、リンゴも人間も同じです。
 他人に意味を与えているのも言葉です。「怒らない」、「気配りができる」、「思慮深い」それも、みんなの共通認識で、こういう人を便宜的に「やさしい」と言っているだけです。

 

 厳密に言えば、やさしさの定義など、人の数ほど違っています。
 そして、一つの物も、数多くの言葉を重ねていけば、個別化されていきます。さきほどのリンゴを例にすると、
「赤い」「丸い」「フルーツ」「甘い」「木になる」これだけでもすぐにリンゴとわかるでしょう。

 

 しかし、もし何かの拍子に、多くのパプアニューギニアの人が好きだと言っているパピロッコという果物があったとしたら、これまでテレビやスーパーなので見たことも聞いたこともないならば、日本人はうまく言い当てることができません。超能力者であったとしても、言葉はわかっても味を含めて正確には説明はできません。

 

 もし近い未来、戦前の日本人が知らなかったライチや、キウイなどのように突然身体にいいと言われてブームになってマスコミに盛んに取り上げられでもしたら、あっという間に認知されるでしょう。
 かといって、食べてみない限り、それがどういう味で、香りがするのかはわかりません。それは、実際に食べられて始めて、パピロッコという果物が一つの固有名詞として共通認識化するということです。

 

 そして、何よりも恐ろしいのは、この世は言葉で出来上がっているとして、その言葉はやさしさの例のごとく、100%は共通認識されていないということなのです。そこに誤解が生じます。
 もし、どこかの国でパピロッコというのが、果物の名を意味せずに、たまたま歴史上の独裁者の名前で、口に出すだけで投獄される社会かもしれないのです。

 

 そう思うと、言葉というのは恐ろしいものです。形容詞が少なければ少ないほど、誤解が生じやすくなります。
 ならば、いちいち一つの物を事細かに形容していけば、限りなくその存在の認識に近づけると思われるかもしれません。
 かつて、フランスの作家のバルザックも、頑なにそう信じていたらしく、登場人物の形容を、事細かにこれほどまでに綿密に記述しないではいられませんでした。
 ですから、今でも日本訳を読むと、たしかに人物の様子は確かに掴めるのですが、あまりにも詳細すぎて、まどろっこしくて文章としてとても読みづらいものになっています。そして、全体像としてかえってぼんやりしてしまいます。

 

 こうして、人に正確に伝えようとすればするほど詳細な描写が必要となってきますが、反比例するように理解が難しくなってしまう。何かを描写するということは本当に難しいことです。
 それは、話すことも同じでしょう。そして書くこととは別の難しさとして、目の前に相手がいるということです。

 

 子どもなのか、大人なのか、男性なのか、女性なのか、少数なのか、多数なのかで、話し方の言葉も変えなくてはなりません。
 それが、とっさに出来る人というのを、世で言う話上手いというなのでしょう。
そう考えると、話すと言うことも書くとは別の難しさを伴っています。
 話す方が楽というのは、ある意味相手がしゃべり方や表情で、足りない部分を補ってくれるからだと思います。書いてある言葉には手書きでないかぎり、当然ながら表情などありません。

 

 その分、わかるように書いていくとバルザックの文章が表すジレンマに陥ってしまいます。
 私が考える、いい文書というのはとにかく読みやすく、そして書き手の表情が自然に浮かんでくるような文章です。言い換えると手紙のような文です。それだと、簡素な描写でも言いたい意図を類推することができます。
 かつて、自分に届いた親愛に満ちた手紙のような文章が好きだと、サリンジャーも言っていたように記憶しています。

 

 ただし、それを小説として組み上げるのもとても難しい作業です。たぶん、私のような力量ではとても無理でしょう。だとしたら、手紙のような気持ちを忘れないで書くしかありません。
 感情が浮いて出ている文章、いつか書けるといいなと思っている仲村でした。

 ではまた 

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