仲村比呂のブログ

Written by Nakamura Hiro

がんばらないのも大変かもしれない。

 最近、「無理しない」。「がんばらない」。

 

 というフレーズを使った書籍や、ビジネス書がよく目につきます。きっとみんな頑張っているなあという自覚があるからこそ、こういった題名の本に目が行くのでしょう。
 ただ、単純にがんばらなくていいと言われて、急にがんばらなくできるかと言われると難しいと思います。それまでずっとそうやって生きてきて、急に明日からさあ、もうがんばらないぞと思っても、日常生活に戻ったら、恐らくまたがんばってしまうのでしょう。

 

 とういうのもそれが、自分だからです。仕事でも無理してしまうのが、それが仕事だからです。
 最初からさあ、無理しないぞと思って机に向かっても、たぶんいつものやり方、いつもの手順、いつものペースでやることでしょう。急に、今日からゆっくりペースでやって、途中でも定時で帰るぞと思ってやったら、恐らくペースが乱れて、かえってストレスを感じるでしょう。

 

 無理をしない。がんばらない。それはすごいですね、とか出来る人だと同じで、マジックワードです。みんな心の中でそう言われたい言葉なのです。
 自分しては、がんばらないというのは、がんばらいないための努力が必要な気がして正直面倒くさいです。

 

 元々嫌なことは、がんばらない質なので、頑張ってちょうどいいぐらいです。だから、両親や先生から、勉強や運動をがんばれがんばれ、と半ば脅しのように言われてきました。

 

 今思うと、うるさいと思いながらも、頑張ったのは正解かなとも思います。そうでなかったら、とうにのたれ死んでいたでしょう。
 もちろん、たぶん端から見たら全然頑張ってないのでしょうが。
 もちろん好きなことは自然に頑張るでしょう。ひょっとして頑張るという言葉は、元々必要ないのかもしれません。

 

 たぶん、すべては頑張るという言葉は、平安時代や、江戸時代の時、命がけのときに使われていたのだと思います。和歌や短歌には、頑張るという言葉はないように、いつからがわからないですが、きっとスポーツや受験、競争原理が入ってきてから使われるようになったのだと思います。

 

 頑張る=相手を負かす。生きるか死ぬか。だから頑張る。そしてそれを見ている周囲ががんばれよと励ます。
 この世の中には大好きな人も多いですが、競争するのが嫌な人も一定数存在します。
 恐らく競争が嫌いな人は、私もそうですが、人から頑張れと言われるのが好きではないと思います。誰も負かしたくない、頑張りたくもない。頑張れとも言われたくない。だからほっといてくれと。

 

 しかし、この社会は完全な競争社会です。頑張らなくてもいい自由もありますが、やはり、少しは頑張らないと、生活できません。
 もし、好きなことで頑張らずに成功できればいいですが、それがないときは、どこかで覚悟を決めなくてはならないでしょう。

 

 かっこ良く言えば、野垂れ死に。でもそんなかっこいい生き方は難しいでしょう。
 引きこもりもその一つでしょう。生きると決めて、なおかつ頑張らないで生きるとして、どこまで許せるかでしょう。

 

 色々捨てなくてはいけません。人並みの生活、人並みの贅沢、人並みの世間体。
そして、もしそれらが欲しいなら。
 今の世の中、最後は頑張らないといけません。そうなると、どこまで頑張れるか。どこまで捨てられるか。その争いになると思います。

 

 それがぼんやりとしていると、やはりどうしても周囲に流されてしまいがちです。
 人生で自分が頑張るのか、そしてどこまで頑張れるのかが、どこかで見切る必要があると思う仲村でした。
 ではまた

がんばっても報われない本当の理由

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